- 日時
- 2015年12月2日 (水) 18:00〜20:00
- 場所
- 東京大学教育学部 第一会議室
- 講演
「子育て支援の地理学 ―地域的文脈と生活空間に注目して―」
久木元美琴(大分大学経済学部)
大分大学の久木元美琴先生からは、人文地理学という視点から、子育て支援の資源及び環境の地域差が、子育て中の世帯の育児戦略や利用行動にどのように影響を与えているのかについて、具体的な自治体の事例を交えながら、わかりやすくお話をいただいた。
待機児童問題は大都市圏で深刻化しており、都市部の自治体で全体の8割を占める。人文地理学的に見ると、これには、第一にその地域が歴史的に教育施設(幼稚園)を優先的に整備してきたか、福祉施設(保育所等)を整備してきたかという「施設ストック」の差異が、第二に女性労働率と女性の就業形態の差異が関与している。長野県(地方)と大阪府(大都市圏)との比較を見ると、山間地が多い長野県では伝統的に女性が一次産業の担い手であったため、保育所が優先的に整備されてきたのに対し、男性賃金水準の高い大都市圏(大阪)では家族の近代化(専業主婦化)が先行して進んだため、幼稚園が優先的に整備された。これが1980年代以降になると、サービス業の進展に伴い大都市圏では女性の社会進出が進んだが、保育施設の整備が追い付かず待機児童問題を引き起こしているという。
また、大都市の郊外では通勤時間が長いため、延長保育の需要が高く、通勤途中に利用しやすい駅前に需要が集中するなど、保育施設のハード面とソフト面とのマッチングが難しい特徴がある。さらに、大都市圏では核家族が多く、親族サポートを得られないため、「育児の外部化」が必要であること、大都市でフルタイムで働く女性の多くは民間企業に勤めているため育児休暇の取得のしにくさにつながっていることなど、複合的な要因が関与している。歴史的に見ると、共働きの多い工場労働者居住地域(川崎市の事例)や、女性の長時間労働を必要とする観光地(石川県七尾市の事例)では、保育施設の需要の高さから、比較的早期から長時間保育や学童保育を公的に供給する体制が整うケースもみられる。
近年では、駅前を再開発して居住者を呼び込むコンパクトシティ化により、局地的に待機児童が増加する大分市のようなケースも増えており、大都市圏に比べて地方圏は子育て資源が豊富で子育てしやすいというテーゼ自体が崩れてきている。また、地方辺縁部では人口減少に伴う統廃合で送迎が困難になるなど、新たな問題も生まれている。大都市圏、地方圏を問わず、家族ネットワークを持たない子育て世代の可視性が低下しており、親族サポートの不足を近隣ネットワークで補完するというモデルもうまくいかなくなっているのが現状である。今後、多様な保育ニーズ(病児保育、長時間保育等)に対応できる仕組みの構築が急務である。
質疑応答では、平成27年度にスタートした「子ども・子育て支援新制度」による地域ごとの保育需給のマッチングが、かえって保育利用困難者を生み出している現状についての質問や、情報へのアクセス能力が子育て資源の利用にどのように影響を与えているかという質問があった。久木元先生は、特に地方圏ではこれまで普通に保育所に預けられていた家庭が、新制度ではフルタイムの認定を受けられないという事態が発生していることを指摘され、大都市圏と地方圏での女性の働き方の違いが新制度に反映されていないことが問題であるとの認識を示された。また、子育て世代、特にひとり親家庭は、ネット等を介した保育資源に関する情報へのアクセスが思った以上に少なく、市役所などの公的施設から示された資料に頼る傾向があることから、保育資源の活用に、個々の家庭の情報アクセス能力の差が大きく関与している可能性があることを指摘された。
参加者の声
人文地理学という視点から、保育・子育て支援資源の地域的な分布や利用について分析されている久木元美琴先生のご報告は、各地で起こっている保育需給のミスマッチの原因に対して明晰な説明を与えていただける、たいへん興味深いものであった。待機児童問題の解決のためには、行政はやみくもに保育施設を増やすのではなく、その地域に住む家庭の階層や女性の労働形態の違いという地域的文脈をきちんと把握した上で、どのようなタイプの保育施設をどの場所に配置するかという観点をもって、政策を立案する必要があるだろう。また、転勤や移住など流動性の高い社会の進展により、都市・地方を問わず、育児への親族サポートが期待できない時代が到来しつつある。近年、親族ネットワークを持たない子育て世帯が不可視化されてきているという久木元先生の指摘に、見えないところで子育て資源を奪われている家庭に対する配慮や、そうした家庭の存在を前提とした支援施策のあり方がますます重要になってくることを感じた。
報告:山口美和(東京大学院教育学研究科基礎教育学コース博士課程)
「子どもの貧困と健康:教育学の視点から」
末冨芳(日本大学文理学部)
末富先生からは、子どもの貧困と健康の関連性と支援のあり方について、教育学の観点からご講演いただいた。
まず、子どもの貧困の現状について、「子どもの貧困」の多様な定義を紹介しつつ、特に「はく奪(deprivation):必要な物質的・社会的な財・サービスにアクセスできない状態」という概念で捉えることが重要であるというお話をいただいた。また、非正規雇用・ひとり親世帯は所得以外の貧困にも同時に直面しており、貧困を多元的にとらえることも重要である。日本の貧困問題について、政府の再分配政策が失敗しているということ、子どもの貧困問題は親や子どもの責任問題ではなく、政策立案や教育現場はこの前提に立つ必要があるということが示された。
次に、2000年から現在に至るまでの教育政策について、学力向上政策の中での親の貧困(低所得・低学歴・シングルペアレント)の着眼があったことを評価しつつ、早寝・早起き・朝ごはん運動の事例を紹介しながら教育行政自体が貧困問題の本質を捉えきれていないこと、子ども自身の健康が現在の生活にもたらす影響(学校不適応、健康状態、欠食等)への教育政策からのアプローチにはなお向上の余地があるというお話がなされた。
また、全国学力・学習状況調査の分析結果を紹介しながら、子どもの貧困と学力の関連性についてご解説いただいた。主要な調査結果として、貧困世帯とひとり親世帯のテストスコアなどへの影響はそれぞれ独立に有意な負の効果があることや、親が高学歴であったとしても相対的貧困・ひとり親であることは、学校外学習時間と親の教育アスピレーションを押し下げる効果があると示された。そもそも、子どものテストスコア向上政策のアプローチによって改善できるのはテストスコアの課題のみであり、朝食を食べない児童生徒への対応ができていないという。したがって、朝食欠食や親の教育アスピレーションなどテストスコア以外のアウトカム指標を教育政策にも取り込むことが重要である。また、同時に、親の健康や時間貧困の改善、所得補償も必要だ。
最後に、学校現場や教育委員会における課題についてご解説いただいた。学校が貧困状態の保護者・子どもを排除する傾向の要因として、貧困の自己責任論や支援を「甘やかし」とみなす傾向、平面的な平等感への拘泥、教員の指導万能主義、点数学力の重視などが挙げられた。具体的に、大阪府や静岡市での貧困の子どもたちに特化した支援をとりあげながら、スクールソーシャルワーカーや居場所支援NPO、市の福祉課や教育委員会の連携の在り方についてご提言いただいた。
ご講演の後、①就学前教育における非認知教育への注目が高まっているが、貧困研究において非認知的能力をアウトカムに設定することについて、どのように解釈されうるのか、②地図上に子どもたちの健康状態や学力などを可視化することによって、どのような効果がありうるのか、といった点について質疑応答がなされた。
参加者の声
末富先生のご講演の中で、最も印象的だったのは貧困を多元的にとらえることの重要性である。教育へのアクセス、公的な社会保障へのアクセス、健康保障などの面からも貧困をとらえる必要があり、また、同時に貧困対策の政策も一面的なアプローチではなく多面的に、教育や福祉、医療といった分野が連携して取り組まなければならない。また、自分自身、教育行政を研究している身として、学力以外の子どもの「ウェルビーイング」な状態をいかに指標化し、アウトカムとして設定して政策に反映させていくのか、ということを考えさせられた。貧困問題を子どもや親の自己責任論で片づけるのではなく、社会全体の人権保障の問題であるという考え方が、教育現場や行政さらには地域コミュニティなどに浸透し、包括的・多面的な子ども・親支援が広く行われるようにするためには、どのような研究が必要なのか考えていきたい。
報告:越田真奈美(東京大学院教育学研究科学校開発政策コース修士課程)